第4回「五月の風」(2011.5.30)

 春の気配を感じながら平穏な日々を送っていた三月、突然震災は起きました。日常生活が機能停止に陥り、恐怖や不安や悲しみで心に大きな穴があいたようでした。しばらくは停電や断水や食料不足やガソリン不足の中で不便な生活を送りましたが、少しずつ問題は解消し、余震の回数も減り、気持ちも落ち着いてきました。
 震災後しばらくお休みしていた書道教室も今は通常に戻り、子供達が元気に通ってくれています。子供達とのふれあいは楽しくて、私は元気と希望をわけてもらっています。

 地震や津波の災害は忘れた頃にやってきて、自然の猛威を私たちに思い知らせます。地球の表面はプレートと呼ばれる岩盤によって覆われていますが、プレートは絶えず変動しています。日本列島周辺には4つものプレート境界があるのです。日本海溝には海洋プレートが沈み込んでおり、そのひずみの解消のため地震が繰り返し起きています。地震と津波の震災がこれからも繰り返し起こることは確実です。
 このような土地に住む者として、私たちは自然を畏れ敬い愛するとともに、自然の脅威とも共存していく必要があります。そのような意味で今回の津波で破壊されてしまった町がどのような形で復興するのか、注意深く見守りたいと思います。私達の100年後、1000年後の子孫が今回のように大きな津波に襲われたとしても、被害を最小限に抑えられるかどうか、現代の知恵が試されているのです。

 少し話はそれますが、今回の地震で液状化の被害が大きい地区が報道されていました。人間が海を埋め立てて住宅地に変えるというのは傲慢だったのです。
 同じように、使用済みの核廃棄物を地下深くに埋めてしまうという核廃棄物の地層処分がテレビCMで流れていましたが、これが安全だというのも人間の傲慢です。
 自然は人間の傲慢に対し容赦はしないでしょう。今回の原発事故がそれを物語っています。
 私達はもっとつつましい生活を心がけなければならなかったのですね。電気や水を使いすぎていました。便利が当たり前と思っていました。反省しています。今後どのような生活をしていかなければならないか模索しています。

 窓を開けると、五月のさわやかで暖かな風が家に入ります。風が日差しを浴びたレースのカーテンをゆらゆらと揺らすのを見るのが大好きです。窓から庭を眺めれば、水仙やチューリップやつつじやアヤメに続いて、もうすぐ楽しみにしていた芍薬やラベンダーやバラも咲いてくれるでしょう。春は本当に美しく素晴らしいです。

 しかし揺れるカーテンや花を見ながらも、心の中では、家や大切な人を失ってしまった海沿いの方々の悲しみや、原発事故以来一度も窓を開けたことがないという地元郡山や福島の友人の苦しみを忘れたことはありません。